Hello everyone, it’s May🌷
The long summer is finally over🌞
何故、私たちは勉強をするのか?あるいはしなければならないのか?📖
日々勉強している皆さんは、よく疑問に思うのではないでしょうか🤔
これは意外と壮大なテーマで、私も学生時代から長らく疑問に思っていましたが、30代に突入してようやくその半分くらいの答えにたどり着いたような気がします✨
今日は私の経歴も交えながら、この哲学を少し紐解いてみたいと思います。
トレーニングのために学ぶ
私の勉強は、幼稚園の年中から通い始めた公文式から始まりました📚
公文とは、知っている人も多いと思いますが、国語や算数などの問題が書いてあるプリントを教室と家で解き、高得点を取れるようになるまで何度も似たような問題を解き続け、反復練習を行うことで学力を強化していく学習方法です✏️
両親の教育方針で通い始めたのですが、「似たような問題がたくさん出てきて時間がかかるし面倒」「でも手を抜くとミスをする」「こんなことやってて本当に意味あるのかな」などと思いながら当時はやっていました。
結局公文には、4歳から11歳でアメリカに引っ越すまで7年間通いました。
渡米後は月曜日から金曜日までの5日間の現地校に加え、毎週土曜日には日本人学校に通いました🏫
渡米前の小学校生活よりも忙しくなり、宿題の量も増えましたが、「日本でやっていた公文ほど大変じゃないな」とある日思ったのです。
公文が知らず知らずのうちに役に立っていたんですね📈
大概の勉強や宿題の量は「あの頃よりも楽」と思えるようになっていたのです。
勉強の内容や種類はさておき、問題を解き、たくさんのことを暗記して、面倒な宿題をこなし、そのサイクルを何度も繰り返すことは、自分自身を鍛えることに繋がるのだと思います💪
微分積分や歴史の細かい年号を覚えることになんの意味が…と思うかもしれませんが、これも苦手なことに取り組み続けるトレーニングの一環と考えてみてはどうでしょうか?
多分私たちの人生は、「できること」、「できないこと」、「できるけど面倒なこと」で大まかに構成されていて、最後の「できるけど面倒なこと」が大部分を占めるのだと思います。
それができるようになるための訓練として勉強を捉えると、少し意義を見出せる気がしてきませんか?
将来の選択肢を広げるために学ぶ
高校時代の私の学力は、中の上くらいだったと思います📊
英語が自分の唯一の強みだったこともありますが、英語以外に特に勉強したいことがなかったため、実家から通えて潰しが効きそうな英語系の学部に進学しました。
南山大学外国語学部英米学科を卒業後は、自動車系のメーカーに就職しました🚗
就職後は自分の腕一本で翻訳家として生計を立てたいと思い立ち、英語の勉強をしながら独立に至りました。
自分の選んだ大学や会社が失敗だったとは思いませんが、もっと勉強して偏差値の高い大学に受かっていれば、その後の選択肢も多かったのだろうと思います🎓
今もう一度進路を選べるとしたら、政治、経済、経営学部などが面白そうだなと思いますし(理由は後程述べます)、学力があれば理系学部も魅力的だなと思います⚙️
現実的なお話をしますと、日本では学歴が重視される傾向にあります📜
いくら地頭が良くても、大学を出ていない、または世間一般に良いと高学歴だとされる大学を出ていないだけで、希望の会社に就職できないことがあります。
面接さえ受けられずに書類で落ちてしまうといった足切りにも遭ってしまいます。
「将来の選択肢を広げるために勉強する」ことは、勉強をする本当の意味とは少しずれますが、学歴重視型の日本の社会を鑑みると、なるべく偏差値の高い大学を目指すこと自体に意義があると割り切るしかないのかなと思います📚
勉強して大学を出ているとまず就職に有利になります。
在学中に一緒に会社を興す仲間が見つかり、就職しないという選択肢もあるかもしれません。
また、就職先が上場企業であればお給料が高い、福利厚生が充実している、社員が多いため仲間やコミュニティがたくさんできる、転職したくなったときに有利になるなど、更に自分の中で選択肢が増えていく訳です。
このようなことを書くと打算的で卑しい感じがしますが、大切なことなので書きました。
自分自身の選択や裁量で人生の方向性を決められることは、とても幸せなことですし、皆さんにはそうなってほしいと思います💫
自己実現のために学ぶ
大学卒業後、就職、仕事での独立、結婚、出産を経て、30代になりましたが、学ぶということは「なりたい自分に近づくための手段」なのかなと、最近思うようになりました🌱
中学生から大学生くらいまでは、私は英語のネイティブに憧れながら勉強していました。
文法や単語の勉強に加え、どうしたらもっと発音が良くなるだろうか、海外のティーンはどのような生活を送っているんだろうかなどとワクワクしながら海外ドラマを見たこともありました📺
流暢な英語を話せるようになりたかったから、英語の勉強自体があまり苦じゃなかったのかもしれませんね📖
大学を卒業して以来は、翻訳家としての独立を目標に仕事や英語の勉強を頑張ってきましたが、それが叶って公私ともに落ち着いてきた今では、また新しいことをできるようになりたいなと思っています🌍
20年ほど英語漬けの毎日だったのに、最近すっかり興味が変わって経済、投資、数字の勉強をするのが面白いと感じています。
世界の経済状況は指数と呼ばれる数字で把握するのですが、学生時代は大嫌いだった数字に夢中になっているなんて不思議なものです。
20代までは「英語を話せたらかっこいいな」と思っていましたが、最近では「政治や経済を理解したい(いやむしろ知っていないと恥ずかしい?)」「マネーリテラシーの高い40代になりたい」「世界中の株価をチェックするのって世界と繋がってるみたいで楽しい!」などと思っています🌐
また、経済ニュースや相場の動きを英字新聞や海外アナリストの X ポストで確認する際に、これまで学んできた英語が役に立っているのもモチベーションになっています。
経済動向はトレンドが頻繁に変わりますし、新聞社やアナリストによって言うこともまちまちなので、書かれている英語を正しく理解して情報を偏りなく収集することが意外と難しいんですよね。
些細なことで良いので、皆さんも「自分のなりたい像」をイメージしてみてください。
来年・再来年にどうなっていたいか、20代ではどんな自分が理想か。
勉強はその理想の自分に近づくための手段だったりすると思います🌈
最後に、太宰治の小説に出てくる好きな一節を引用したいと思います📜
勉強というものは、いいものだ。
代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ✨
何も自分の知識を誇る必要はない。
勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。
学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
これだ。これが貴いのだ。
勉強しなければいかん。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
(引用終わり)
学生時代に培われた学力は、大人になってから随所に現れるのだと思います。
国語・英語は日々の言葉遣い、現代社会・歴史は教養に、数学・物理は論理性に。
それこそが太宰治の言う「カルチベートされた人間」(洗練された人間)であり、どの勉強が将来役立つか分からないため「一つかみの砂金」と表現しているのではないでしょうか🌟
学んだこと全てを覚えていられる訳ではありませんが、着実にストックされていった知識は人生を豊かにしてくれます。
自分の学生時代を振り返ると、受け身ではなく、もっと主体的に勉強しておけばよかったと思います。
良い成績を取るために勉強するのではなく(もちろんそれも大切ですが)、勉強の意味を自分なりに見つけ、知見を広めることの奥深さや、自分が成長していくことの楽しさをもっと実感できていたら、また違う人生を歩んでいたのかもしれません😊
勉強に集中できる期間は人生の中で本当に若いうちだけです。
一生懸命勉強に取り組んでいる皆さんは、私よりももっともっと高いところを目指していけると思いますので、月並みな言葉になってしまいますが、今だけだと思って頑張ってください🔥
今回の私の体験や価値観が少しでも皆さんの一助になれば嬉しいですし、皆さんにとっての「なぜ学ぶのか」が見つかったら是非教えていただきたいなと思います😊
Have a great day 🌟
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